マスコミ紹介記事


フランス柔道指導・講演の新聞記事

2007年04月18日

 2月2日から10日まで、フランスのパリ日本文化会館(国際協力基金が海外に持つ文化会館の一つ)の10周年記念行事として行った、フランス3都市(パリ・マルセイユ・ボルドー)での柔道の実技指導と講演についての新聞記事を国際交流基金文化事業部の若濱むつみさんに訳していただきました。

柔道 スポーツ文化の歴史/マルセイユを訪問した日本人
≪山下、伝説的巨匠≫
 スポーツ界において、生きながら伝説となるのは稀である。かつて、元中量級世界チャンピオンであるアメリカのボクサー、マーベロス・マーヴィン・ヘイグラー氏がマルセイユを訪れた。
この伝説のカテゴリーにおいては、日本の柔道家山下泰裕氏は同様に重要な位置を占めている。最初の世界タイトル(1979年)から現役引退まで(1985年)、この人並みはずれた大物は、頂点として君臨し、203連勝の後、27年間の現役生活を引退した。
 2日間の滞在のためマルセイユを訪れたのは、シドニーオリンピック全日本チームのコーチであり、より世界的規模では、柔道の使節であるこの人物なのだ。

ルージェ「畳の上でも闘志むき出しではない、優しい人物」
 山下氏は、一つの現象だろうか?それは一目瞭然だ。少なくともベルナール・チュルーヤンの目には。「私は、1974年に、東京に近い東海大学で練習をしていたとき、初めて彼を見ました。彼はまだ高校生で、その研修には週に2、3回参加するという特例を認められていたようでした。私は父に、すばらしい重量級選手がいると手紙に書いたことを覚えています。それが山下氏でした」
 1981年に、チュルーヤンは、中量級(-78kg級)で世界チャンピオンとなり、この日本人は重量級と無差別級で二つのタイトルを獲得することになる。
 「実生活において、彼は気さくで開放的でし」と、チュルーヤン氏は続ける。「東京は、私たちにとっては不慣れなところでしたが、彼はよく一杯飲みに付き合ってくれました。」
「唯一、彼を倒せたかもしれない人は、ジャン・リュック・ルージェ氏です。なぜなら彼は、山下氏の前でも震えなかった。でも、彼は体重が軽すぎた。10kg足りなかったんです。山下対ダヴィッド・ドゥイエ戦はぜひ見てみたかった。」
 フランス人初の世界チャンピオン(1975年)、ジャン・リュック・ルージェ氏は、山下氏との3度にわたる対戦で一度も勝つことはなかった。しかし、実際、彼は体重が軽く(128kgに対して、103kg)、日本がボイコットしたモスクワオリンピックでは中重量級(-95kg)に変更する。「山下氏は、畳の上でも闘志むき出しではない、優しい青年というイメージを私に残しました。」

デル・コロンボ「まるで地面に釘付けられたようだった」
 「それでもやはり、選手は皆、彼を恐れていることに変わりはありませんでした。反対に、彼らは私にはいともたやすく向かってきました」と現在フランス柔道連盟会長を務めるルージェ氏は言う。「それは、体重差に加え、追加のハンディキャップでした」
 フランスで5回重量級チャンピオンとなったロレント・デル・コロンボ氏は、山下氏と4度にわたり対戦した。うち、1度はロスアンジェルスオリンピックにおいてである。すさまじい経験だ。「彼の前では、誰もが、被害を最小限にとどめる気持ちで試合に臨んだ。彼が負けることなど誰も全く信じていなかった。彼はなんの失敗もしなかった。完全で、すきが無く、動じない、ビョーン・ボルグ スタイルの柔道家だった。伝統的な固技で畳に押さえつけられると、もはや地面から足をはがすことはできないと思うくらいであった」 山下氏、すべての意味において、とてつもない人物である。

ダイジェスト
山下泰裕氏は、1957年6月1日、熊本県矢部町で生まれる。身長1.80メートル、体重128kg。重量級で3回世界チャンピオン(1979、1981、1983年)、無差別級世界チャンピオン(1981年)、ボイコットのため出場できなかったモスクワオリンピックの後、ロスアンジェルスオリンピックで優勝(1984年)。528試合中、わずか16敗という成績で、1985年に現役を引退。

プログラム
原点への回帰
フランスを巡回する山下氏が、明日16時にヴァリエ体育館、月曜日18時半に地方議会を訪問。
パリ日本文化会館開館10周年及びフランス柔道連盟60周年を記念して、山下泰裕氏が明日のマルセイユ訪問を皮切りに、柔道秘伝の旅を繰り広げる。国際柔道連盟教育コーチング理事である山下氏は、16時、ヴァリエ体育館で100名の黒帯昇段者への授与式に出席し、子供たちの実技指導にあたる。翌日は、知識を深め、生きる伝説家山下氏とふれ合いたい人を対象に、柔道に関する講演を行う。参加自由、18時30分から、会場はPACA地方議会。元チャンピオンが、自らの柔道人生を振り返り、柔道の発展と教育的側面を語る。柔道の創始者嘉納治五郎師範がヨーロッパ大陸におり立った都市マルセイユから、水曜日はパリ、次いで木曜日と金曜日はボルドーへ、山下氏の旅は続く。

<写真>
1979年、パリで行われたフランス国際大会の決勝:山下泰裕氏は、ジャン・リュック・ルージェ氏を制す。(1975年世界チャンピオンの)フランス人と世界柔道の新たなスターによる、バトンタッチのようであった。

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柔道・PACA地方議会の賓客 ありがとう 山下さん!

 超満員の聴衆は、昨日、PACA地方議会で行われた山下泰裕先生の講演に真剣に耳を傾けた。
彼の器の広さとこれまでの戦歴(山下氏は203連勝という業績を成し遂げた)には、尊敬の念を抱かずにはいられない。この日本人が育ててきたように思われる敬意を。
 日曜日、ヴァリエ体育館で、観衆に「メルシーボークー」と挨拶した後、このロスアンジェルスオリンピックのチャンピオンは、自らの存在によって、フランスが彼の人生において非常に重要な国であることを示した。 「この国は、その文化とエスプリ(精神)の点で、際立っています」山下氏は強調する。「柔道では、チャンピオンとなるのに力だけでは十分ではありません。知性がより磨き高めてくれるのです」
 12歳で指導者によってたたきこまれた教訓が今でも大きな価値を持ち続けている。「この教えが、非常に暴れん坊だった私を、この年齢ですでにナンバーワンにしてくれたのです」
 その後、山下氏は畳の上では無敵であったが、フランス柔道連盟の現会長で、昨日の講演会にも参加していたジャン・リュック・ルージェ氏については喜びとともにこう振り返る。
 「ルージェ氏は、私の人生の一部をなしている柔道家です。私は彼に、非常に深い尊敬の念を抱いています。彼は当時からフランスの柔道家らしく、畳の上で高い技術を持ち、それ以外においてもすばらしい人でした」

<写真>
ミッシェル・ヴォゼル地方議会会長が、山下氏とマルク・コロンボ柔道リーグ会長を出迎えた。

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800人の柔道家に迎えられた伝説的柔道家
 マルセイユとパリを経て、いつの時代においても日本柔道の最も偉大なチャンピオン、山下泰裕氏が、昨日ボルドーで柔道に関する講演会を行ったあと、木曜日にイリス体育館にある柔道リーグ道場を訪れた。1984年のオリンピック無差別級チャンピオン、世界選手権で4回優勝、1977年10月から1985年4月まで一度も負けることのなかった、この偉大な国際柔道の巨匠は、ボルドー第2大学スポーツサイエンス学部教授で国際柔道連盟のメディアコミッショナーでもあるミッシェル・ブルース氏とともに、世界における柔道普及のため働いている。アキテーヌ地方柔道リーグは、このチャンピオンの来訪を、開館10周年を迎えたパリ日本文化会館、フランス柔道連盟、そしてジロンド委員会と共に企画した。
 クロード・デュボワ・リーグ会長とダニエル・ホロシ議長を先頭に、アキテーヌ地方の800人の柔道家-小さな子供から、少年少女選手、年少選手、彼らの指導者、黒帯や高段者まで-がこの偉大なチャンピオンを鳴り止まぬ拍手喝采とともに歓迎し、元世界チャンピオンでリーグの広報担当であるキャシー・アルノー氏が、この崇高な実技指導の開始を宣言した。
 気さくで熱気溢れる雰囲気の中、この気高く堂々とした自由闊達な日本の師匠は、きわめて率直に柔道の基本的な技術について力説し、1時間以上もの間真剣に彼の言葉に耳を傾けた子供たちの質問に答え、全てのクラブとの記念撮影に応じていた。

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柔道/数百人が山下氏の来訪を祝った
不朽の業績を持つ山下氏がマルセイユを訪問
 目が輝く。いつの時代においても最も偉大な柔道家、山下泰裕氏が登場すると、会場は感動に包まれ一瞬釘付けになる。ヴァリエ体育館の畳の上に所狭しと集まった、指導者や生徒たちは、PACAリーグ創設以来最も記念すべき日を迎え喜びに溢れている。「到達不可能な夢が私たちの目の前で現実となっています」マルク・コロンボ会長が言葉を発する。山下氏に、数百人の子供や大人が近寄り声を掛ける。多くの者が直接柔道着に触れようと手を伸ばし、サインを求め、またある者はこの瞬間を永遠にとどめておこうとカメラを構える。
 全528試合中(16敗)、フランス人にもヨーロッパ人にも負けたことのない山下氏を、全員が快く迎え入れた。
 「彼は現在も、そしてこれからも最も偉大です」と、このオリンピックチャンピオン(ロスアンジェルスオリンピック 1984年)のビデオをいくつも見たノレ氏が言う。「彼は何年もの間頂点にいましたが、変わることはありませんでした。私の心臓は高鳴っています」
 11歳のイーサム君は貴重な時間を共有した。「僕はダビッド・ドゥイエ選手が大好きなんです。でも、彼(山下氏)は、一番強い。彼はすばらしい選手の代表だから、僕は今日ここに居られてとっても幸せです。この日のことは一生忘れません」
 愛想がよく、カリスマ的で、穏やかなオリンピックチャンピオン山下泰裕氏は、すべての呼びかけに応え、マルセイエーズの心を大きく揺さぶった。

<写真中央>
100名の黒帯授与式とパリ日本文化会館開館10周年及びフランス柔道連盟創設60周年の記念式典の一環として、昨日、日本のスターがヴァリエを訪問。
<写真右下>
まさに生きる伝説家―山下氏とのすばらしい思い出を、マルセイユ柔道界はずっと持ちつづけるであろう。