2006年05月 | マスコミ紹介記事

ニッポン人・脈・記「柔道の心」に関して Vol.1

2006年05月29日

私の記事が一回目だったのですが、それぞれに色々学ぶ事がありました。その中で特に私の心に残ったのは、2回のヘーシンクと神永先生、10回目の篠原選手とドイエ選手の記事でした。篠原とドイエの試合の所では、私は当時全日本のチームの監督をしていましたので、ぐっと胸に来るものがありました。

私から見ますと、篠原もドイエも素晴らしい柔道家で、やはり柔道の心を良く理解していると思います。二人には、将来日本そして世界の柔道界を引っ張って行って欲しいと思っています。特に心に残ったヘーシンクと神永先生。そして、篠原とドイエです。これを是非皆様に読んでいただきたく、ここに紹介致します。

このドイエの手紙は、毎年私の授業で学生達に見せます。篠原やドイエのような偉大で素晴らしい柔道家は単に勝ちだけを目指しているのではないと学生達に伝えております。柔道では、戦う相手は敵ではない、相手がいるから自分が強くなれる。戦う相手を尊敬、感謝の気持ちが一番大事である。私が国内・国外の多くの柔道家に話す言葉です。この精神は、私達のNPO法人が目指す柔道・友情・平和にも繋がっていると思います。」

 

私の柔道外交

2006年05月26日

文藝春秋 号数:2006年5月特別号掲載

このところ私は、国際柔道連盟の仕事などで、年間100日ぐらいは日本を離れて世界を歩いている。外国人との交流も多いが、彼らと話せば話すほど、「日本は世界の人に正しく理解されていないのではないか」という気持ちを抱いてしまう。日本のことをもっと知ってほしい。そのために私は、柔道を通して国際交流を進めてきた。

柔道では 「レイ(礼)」、「ハジメ(始め)」、「ヒキワケ(引き分け)」など、試合はすべて日本語で進められる。外国人は最初、まったく意味が理解できないだろうが、柔道を続けていくうちに、次第に言葉の意味に興味が出てくる。そこから更に日本語そのものや日本文化に興味を抱く人も少なくないという。

それに、柔道は激しい競技だが、互いに組んで戦った者同士は、ある種の親近感を抱くことができる。柔道の創始者である嘉納治五郎師範は、「自他共栄」とおっしゃった。戦う相手は敵ではない。それが柔道の精神なのだ。だから他では得られない関係が生まれるのだろう。ロシアのプーチン大統領との交流を通じて、私はその点の確信を深めてきた。

プーチン大統領は柔道の有段者で、「柔道はスポーツではなく、哲学だ」と話す方だ。これまでに何度かお目にかかっているが、昨年の11月に来日された折、私は恩師から頂いた嘉納師範直筆の「自他共栄」という書を大統領に贈呈した。大統領は、「これは本物ですか。それともコピーですか」とお尋ねになったが、むろん本物である。非常に喜んでいただき、ロシアへ招待された。

そこでシドニー五輪金メダリストの井上康生選手を連れ、昨年の12月に大統領の故郷、サンクトペテルブルクへ行ってきた。KGB出身ということもあってか、一般的には冷徹なイメージだが、私の知っているプーチン大統領は穏やかで、温かな血の通った人であり、表情も非常に豊かである。故郷の柔道仲間は、「大統領は昔からちっとも変わっていない」 と、声を揃える。柔道を通して培った友情は立場を超えて変わらないものなのだろう。食事会の時、店のシェフとも気さくに言葉を交わし、卓を囲んだ我我に気をつかうプーチン大統領の姿をみて、井上選手もいっぺんにその人柄に魅せられてしまったようだ。

同じ12月末、福岡で中学生の国際柔道大会が開かれたのだが、そこにロシアの北オセチア共和国、ベスラン柔道クラブの7人の選手を招待した。2004年9月、テロリストがベスランの学校を占拠して、大勢の子どもを含む三百人以上の死者が出た事件は記憶に新しい。参加した少年の一人は人質となって、手榴弾で両手両足を火傷する重傷を負った。もう一人は母と妹を事件で失っている。大会には井上選手が激励にいき、彼らも喜んでくれたという。プーチン大統領の側近の働きかけもあって、テロで傷ついた少年たちを励ます柔道交流の模様はロシア全土にテレビで放送された。こうした草の根の交流によって、ロシアの対日観が少しでも良くなるとよいのだが。

ロシアだけではない。アテネ五輪の前に、イラクの選手を日本に招いて五輪へ向けた強化練習の支援をしたこともあるし、いまは北京五輪に向けて中国男子柔道チームの強化にも微力ながら携わっている。勤務先の東海大学そばに学生向けのアパートを借りて、年間で四、五ケ月の合宿が可能な体制を整えた。現在、日中関係は必ずしも良好ではないが、いくつかの企業の援助もあって北京五輪までこの支援は続く。外務省から声がかかり、日本人も多く住む中国の青島に柔場を作る計画にも加わっている。無償支援なので援助金の上限は一千万円。豪華な施設ができるわけではないが、日本と中国の子どもが一緒に柔道をすることで、色いろな交流がスタートするだろう。将来的には、そこを拠点に華道や茶道など他の分野でも交流が始まればいい。

こうした活動を今後さらに進めるため、私はNPO法人「柔道教育ソリダリティ」を設立した。「ソリダリティ」は日本語で「連帯」を意味する。ポーランドのワレサ議長が使ってから人口に膾炙した言葉だという。

私は聖人君子でもないし、未熟な点も多い男だ。できるのは柔道だけかもしれない。しかし、その柔道を通して多くの人と交流していくことが、東海大の創始者、松前重義先生はじめこれまで応援してくれた方々への恩返しだと信じている。

山下泰裕とプーチンとの会談

2006年05月16日

朝日新聞夕刊平成18年5月16日掲載
朝日新聞「ニッポン人・脈・記 柔道のこころ①」に、山下泰裕とプーチンとの会談が掲載されました。

六本木ヒルズ51階の鉄板焼き店。山下泰裕(48)は昨年11月、日口首脳会談で来日したウラジーミル・プーチン(53)から夕食に招かれた。国際柔道連盟理事とロシア大統領。そんな肩書を外したつきあいは5年以上になる。

いつもは酒を控えるプーチンもその夜は熱燗を楽しんだ。「今度そモスクワで寿司をごちそうしましょう」。山下が「5人前は食べますよ」と返すと、プーチンは「大丈夫」と笑う。そこには中央集権を進める強面の権力者の顔はなかった。

にぎやかなひとときに、プーチンは一度だけ真顔になった。「日本とロシアの闇には難問が残っています。しかし安心して下さい」。山下はうなずいた。

14歳のころ柔道を始めたプーチンは3人の柔道家にあこがれている。まず、創始者の嘉納治五郎。モスクワの自宅には嘉納の等身大の銅像を置いてあるほどだ。テロ被害の子、笑顔戻る

それから「姿二四郎」。学生時代、故郷サンクトペテルブルクの映画館で黒澤明の監督デビュー作を何度も見た。大きくない体でも相手を投げ飛ばす三四郎と、体重 70キロで背負い投げが得意な白分とが重なった。

そして山下だ。初めて会った場所は東京の講道館。00年9月、首脳会談の後、柔道の総本山を訪れた。柔道についてプーチンは「相手との調和を求めるもの」と考え、山下は「相手に対する尊敬の気持ちが大事」と思う。2人は共鳴し、お互いの国を行き来する時に会う仲になった。

六本木ヒルズの会食で、プーチンは山下に感謝を伝えた。「ベスランの子どもたちにとって、訪日が励みになるでしょう」。福岡県宗像市で1カ月後に開かれる国際中学生大会に、テロに巻き込まれた子どもたちが呼ばれ、試合に出ることになっていた。

ベスランはロシア南部の北オセチア共和国にある。04年9月、チェチェン共和国の独立を求める武装集団が学校に乱入した。子どもたちと家族ら1千人以上が人質に。ロシア特殊部隊との銃撃戦、爆発。300人以上が亡くなり、負傷した子どもたちの映像が世界中に流れた。

被害者のなかに地元の柔道クラブの子がいた。アラン・コテーエフ(14)は全身にやけどを負い、ソスラン・マルギーエフ(14)は手足に流れ弾が当たった。チエルメン・ノガーエフ(15)は合宿でモスクワにいて難を逃れたが、母と妹を失った。 「彼らの心の傷を癒やせないだろうか」。プーチンと40年来の柔道仲間で国会議員のワシリー・シエスタコフ(53)から山下が相談を受け、ベスランの子どもたちの日本招待を実現させた。

六本木ヒルズでの会食からほどなく、山下はロシアに飛び、プーチンと再会、ともに柔道着姿になってサンクトペテルブルクの子どもたちに技を手ほどきした。山下の教え子、井上康生(28)が同行して汗を流し、「日口交流の役に立ちたい」と山下に申し出た。

宗像市での大会には、井上が駆けつけた。ベスランの子らと握手し、サイン入りファイルとスポーッバッグを手渡した。「創造を絶する体験をしたと思います。少しでも気持ちが和らげばうれしい」

帰国した3人はファイルを自慢げに友だちに見せた。バッグは大切にしまってある。コチーエフは治療を続けながら道場に顔を出す。マルギーエフは体内に残る銃弾を手術で取り除き、トレーニングができるようになった。ノガーエフも練習を再開している。

道場には井上との記念写真が飾ってある。五輪、世界選手権、全日本選手権を制している井上は彼らにとって遠い国のヒーローだった。しかし日本で「これからも頑張って」と励まされ、グッと身近な先輩になった。いま、柔道が彼らの生きる力になっている。

世界195の国と地域に広がっている柔道。誕生は1882(明治15)年にさかのぼる。その歴史は国を超えた交流や選手の名勝負とともに歩んできた。柔の通にかけた人たちのこころを描く。

The Nikkei Weekly(5/15.2006)

2006年05月15日

Judo legend’s new NPO to wrestle world peace Japanese judo legend Yasuhiro Yamashita wrestled his way to a gold medal in his sports. Now he wants to achieve an even higher goal: creating world peace by promoting judo internationally. In April, the 48-year-old launched his new dream with the creation of a nonprofit organization, Judo & Education Solidarity.

He said it was inspired by something that his mentor, the late Shigeyoshi Matsumae, the founder of Tokai University, often said to him: “I’d like you to deepen friendship with the youth of the world through judo, the marshal art that originated in Japan, and thus contribute to world peace.

A gold medalist at the 1984 Los Angeles Olympics, Yamashita is now going to pursue this mission as head of the nonprofit organization.

The secretariat is based at his alma mater, Tokai University, at which he currently serves as professor of physical education.

Explaining the use of the word “solidarity” in the name of the organization, he said, “The organization will fulfill its mission if it conducts its activities in cooperation with people from everywhere.”

Judo & Education Solidarity has already distributed judo uniforms for free to developing countries, sent judo coaches overseas and trained foreign judo athletes in Japan.

Other activities are planned, including assisting female coaches and organizing symposiums and other events to help bring the sport’s leading figures together.

The organization has also begun extending support to Chinese judo athletes in response to the request of a judo association there.

He acknowledged that some people had criticized the plan to support Chinese judoists amid strong anti-Japanese sentiment in China.

But Yamashita said, “It’s sad to see our country remain at odds with neighboring nations.”

He added, “We’ll be glad if Japanese and Chinese athletes make it to the final match (at the 2008 Beijing Olympics).”

Yamashita considers that fulfilling the nonprofit organization’s peace mission will help crown his career as a judoist.

He joked that if the ambitious goal was achieved, Jigoro Kano (1860-1938), the founder of the Kodokan school of judo, might pat him on the back and say to him when he meets him in heaven, “So you’re the Yamashita who reached the ultimate in judo!”

感想が寄せられました。ありがとうございます。

 

競技の枠を超えて広がる。驚きあり、笑いありの特別のひととき

2006年05月12日

『2006年世界女性スポーツ会議で講演』 媒体名:リビング熊本コラム名:5月12日(金)リビング熊本20周年記念イベント「アスリート・トークショー」開催レポート~感動、拍手喝采!名アスリートの話に湧き上がった夕べ~主催/2006世界女性スポーツ会議くまもと実行委員会 熊本リビング新聞社

「2006世界女性スポーツ会議くまもと」の併催イベントとして、5月12日(金)ホテル日航熊本で行われた「アスリート・トークショー」。偉大な功績を残したアスリート達によるショーの模様を、紙面でもうー度ご紹介します。

5月11日(木)~14日(日)、約100カ国・約700人の参加者を迎え、成功のうちに終幕した「2006世界女性スポーツ会議くまもと」。

リビング熊本創刊20周年を記念しての「アスリート・トークショー」では、同会議開催地・熊本を代表してロス五輪無差別級の金メダリスト・山下泰裕さんをはじめとする4人のゲストが参加。東京五輪競泳代表の木原光知子さん、五輪女子マラソンで銀・銅メダルを獲得した有森裕子さん、「アメリカ・女子柔道の母」と称されるラスティ・鹿子木さんとともに、約2時間に渡り熱いトークが繰り広げられました。

写真:右から、有森さん、木原さん、山下さん、ラスティさん

女子柔道を五輪の正式種目に、と尽力していたラスティさんの活動を振り返って、以前から親交のあった山下さんからは「当初、IOCはその要望に消極的だった。男子無差別級をなくすことを条件に、女子を正式種目にすることができた。」と逸話を披露。会場からは驚きの声とともに大きな拍手が。

 

また、互いに岡山県出身の木原さんと有森さんからは、同県出身で日本初の五輪メダリスト・人美絹枝さんの偉業と、当時の女性スポーツへの偏見についても紹介。ユーモアを交えつつ、女性の活躍には、男性の理解と支援が重要であることがアピールされました。

 

写真:柔道大会運営のために、自宅を売る覚悟ができていたというラスティさんに「女性は強い!」と山下さん

ショー終了後には、急きょ著書購入者へのサインのサービスも!温かな人柄に触れる瞬間でした。