朝日新聞

イスラエル・パレスティナ訪問事業について記事が載りました。

2010年07月14日

朝日新聞「私の視点」(2007年12月20日)

2007年12月20日

朝日新聞「私の視点」に、山下泰裕理事長の取材記事が掲載されました。

ニッポン人・脈・記「柔道の心」に関して Vol.1

2006年05月29日

私の記事が一回目だったのですが、それぞれに色々学ぶ事がありました。その中で特に私の心に残ったのは、2回のヘーシンクと神永先生、10回目の篠原選手とドイエ選手の記事でした。篠原とドイエの試合の所では、私は当時全日本のチームの監督をしていましたので、ぐっと胸に来るものがありました。

私から見ますと、篠原もドイエも素晴らしい柔道家で、やはり柔道の心を良く理解していると思います。二人には、将来日本そして世界の柔道界を引っ張って行って欲しいと思っています。特に心に残ったヘーシンクと神永先生。そして、篠原とドイエです。これを是非皆様に読んでいただきたく、ここに紹介致します。

このドイエの手紙は、毎年私の授業で学生達に見せます。篠原やドイエのような偉大で素晴らしい柔道家は単に勝ちだけを目指しているのではないと学生達に伝えております。柔道では、戦う相手は敵ではない、相手がいるから自分が強くなれる。戦う相手を尊敬、感謝の気持ちが一番大事である。私が国内・国外の多くの柔道家に話す言葉です。この精神は、私達のNPO法人が目指す柔道・友情・平和にも繋がっていると思います。」

 

山下泰裕とプーチンとの会談

2006年05月16日

朝日新聞夕刊平成18年5月16日掲載
朝日新聞「ニッポン人・脈・記 柔道のこころ①」に、山下泰裕とプーチンとの会談が掲載されました。

六本木ヒルズ51階の鉄板焼き店。山下泰裕(48)は昨年11月、日口首脳会談で来日したウラジーミル・プーチン(53)から夕食に招かれた。国際柔道連盟理事とロシア大統領。そんな肩書を外したつきあいは5年以上になる。

いつもは酒を控えるプーチンもその夜は熱燗を楽しんだ。「今度そモスクワで寿司をごちそうしましょう」。山下が「5人前は食べますよ」と返すと、プーチンは「大丈夫」と笑う。そこには中央集権を進める強面の権力者の顔はなかった。

にぎやかなひとときに、プーチンは一度だけ真顔になった。「日本とロシアの闇には難問が残っています。しかし安心して下さい」。山下はうなずいた。

14歳のころ柔道を始めたプーチンは3人の柔道家にあこがれている。まず、創始者の嘉納治五郎。モスクワの自宅には嘉納の等身大の銅像を置いてあるほどだ。テロ被害の子、笑顔戻る

それから「姿二四郎」。学生時代、故郷サンクトペテルブルクの映画館で黒澤明の監督デビュー作を何度も見た。大きくない体でも相手を投げ飛ばす三四郎と、体重 70キロで背負い投げが得意な白分とが重なった。

そして山下だ。初めて会った場所は東京の講道館。00年9月、首脳会談の後、柔道の総本山を訪れた。柔道についてプーチンは「相手との調和を求めるもの」と考え、山下は「相手に対する尊敬の気持ちが大事」と思う。2人は共鳴し、お互いの国を行き来する時に会う仲になった。

六本木ヒルズの会食で、プーチンは山下に感謝を伝えた。「ベスランの子どもたちにとって、訪日が励みになるでしょう」。福岡県宗像市で1カ月後に開かれる国際中学生大会に、テロに巻き込まれた子どもたちが呼ばれ、試合に出ることになっていた。

ベスランはロシア南部の北オセチア共和国にある。04年9月、チェチェン共和国の独立を求める武装集団が学校に乱入した。子どもたちと家族ら1千人以上が人質に。ロシア特殊部隊との銃撃戦、爆発。300人以上が亡くなり、負傷した子どもたちの映像が世界中に流れた。

被害者のなかに地元の柔道クラブの子がいた。アラン・コテーエフ(14)は全身にやけどを負い、ソスラン・マルギーエフ(14)は手足に流れ弾が当たった。チエルメン・ノガーエフ(15)は合宿でモスクワにいて難を逃れたが、母と妹を失った。 「彼らの心の傷を癒やせないだろうか」。プーチンと40年来の柔道仲間で国会議員のワシリー・シエスタコフ(53)から山下が相談を受け、ベスランの子どもたちの日本招待を実現させた。

六本木ヒルズでの会食からほどなく、山下はロシアに飛び、プーチンと再会、ともに柔道着姿になってサンクトペテルブルクの子どもたちに技を手ほどきした。山下の教え子、井上康生(28)が同行して汗を流し、「日口交流の役に立ちたい」と山下に申し出た。

宗像市での大会には、井上が駆けつけた。ベスランの子らと握手し、サイン入りファイルとスポーッバッグを手渡した。「創造を絶する体験をしたと思います。少しでも気持ちが和らげばうれしい」

帰国した3人はファイルを自慢げに友だちに見せた。バッグは大切にしまってある。コチーエフは治療を続けながら道場に顔を出す。マルギーエフは体内に残る銃弾を手術で取り除き、トレーニングができるようになった。ノガーエフも練習を再開している。

道場には井上との記念写真が飾ってある。五輪、世界選手権、全日本選手権を制している井上は彼らにとって遠い国のヒーローだった。しかし日本で「これからも頑張って」と励まされ、グッと身近な先輩になった。いま、柔道が彼らの生きる力になっている。

世界195の国と地域に広がっている柔道。誕生は1882(明治15)年にさかのぼる。その歴史は国を超えた交流や選手の名勝負とともに歩んできた。柔の通にかけた人たちのこころを描く。